2019
16
Apr

ブログ

海外展示とベトナムの歴史

今年もベトナムに行ってまいりました。

今回で三回目となるベトナム・ダナン。

 

今年は、ドンアー大学にて開催される

「日越文化交流フェスティバル」での作品展示です。

 

さて、その模様をお伝えする前に、

今回こそはと、渡越前にできる限り調べて行ったのが、

ベトナムの歴史。

 

今まで、教科書の範囲で何となく知っている状態で

訪れていたベトナム。

日本軍は、戦争時アジア各地で残虐な行為を繰り広げたと言われているのに、

今、ベトナムのダナンに行っても、

ベトナムの方々はとても友好的に接してくれます。

 

これは、ベトナムをもっと理解しなくては…。

 

ということで、まず始めに。

ベトナムの歴史は、

侵略され続ける歴史だったということ。

 

最近では、ベトナム対アメリカ合衆国の

ベトナム戦争が記憶に新しいですが、

そこに行きつくまでには、

多くの国が関与しているということです。

 

19世紀から始めると、

1887年の清仏戦争により、フランスがベトナムを占領。

 

その後、フランスが第二次世界大戦中でドイツに負けると、

ドイツの仲間、当時アジア南方に力を伸ばしていた日本が、ベトナムを占領。

 

このあたりで日本軍は、ベトナムのみならず、

アジア、東南アジアのいたるところを占領し、

残虐な行為を繰り返したと言われています。

 

その後、第二次世界大戦終結、

負けた日本はベトナムから撤退。

 

そこでベトナムの独立が実現するかと思いきや、

追い出されたフランスがまた手を出し、

ベトナムの南側にフランス領の国を作ります。

 

ここでベトナムは北と南に分断。

 

社会主義(ベトナム独立指導者、ホー・チ・ミンによる)

北ベトナム、

フランス領の民主主義、南ベトナム。

 

この社会主義(共産主義)

北ベトナムに共産主義の中国、ソ連が味方に付き、

フランス民主主義の南ベトナムにアメリカが付く。

 

もう、世界を巻き込んだ争いです。

 

米ソの冷戦時代、共産主義と資本主義の戦い。

 

ただ、ベトナムでの本当の戦いは、そこではなく、

アメリカが南ベトナムに敷いた親米派の政権、

ゴ・ディン・シエムの独裁政権。

 

ゴ・ディン・シエム政権は、

南ベトナムの民衆に対して酷い弾圧を行ったため、

南ベトナムの人民がまず反旗を翻し、

そこに北ベトナムが協力。

その北ベトナムをアメリカが潰そうとする、

どこまでも、ベトナム独立のための戦いなのです。

 

ホー・チ・ミン率いる北ベトナムは、負けませんでした。

 

ジャングルの多い北ベトナム、

地の利のある北ベトナムゲリラのアメリカに対する奇襲戦は功を奏し、

追い詰められたアメリカは、

ジャングルごと枯れさせようと、毒性の強い枯葉剤を散布。

 

後に、ベト・ドクちゃんのような、

奇形児を多く生み出す元となります。

 

足かけ8年、とうとうアメリカは北ベトナムを潰すことはできず、

戦費の増幅、残虐な殺戮に対する世界的なベトナム反戦運動の高まりにより、ベトナムからの撤退を余儀なくされ、

事実上のアメリカの敗戦となりました。

 

そして北ベトナムは、

まだ残っていた親米派南ベトナム政権を倒し、

晴れて、北ベトナムと南ベトナムは統合、

 

独立国家、社会主義国「ベトナム民主共和国」が誕生しました。

 

その後も、隣国とのいざこざがあり、

やっと落ち着いたのは1990年に入ってから。

 

1995年には、「ASEAN」に加盟し、アメリカとの国交も回復。

まだ、24年前の事です。

 

今ベトナムに行くと、本当に皆さん、笑顔で出迎えてくれます。

それは、タイに行った時も、韓国に行った時も同じ。

つらい過去を抱えつつ、

しかし、新しい関係へと積極的に関わってくれます。

 

私は作品を通じて、

もっとアジアの方々といい関係を築いていきたいと思います。

芸術の力を信じて…。

 

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