2019
5
Jan

ブログ

視覚的な暴力、人それぞれの感覚

 

美術館や博物館に訪れる時。

 

だいたいは、

自分の興味のある企画展をしているところに

訪れると思うのですが、

そんな中でもごくたまにあるのが、

「興味がない」のではなく、

「苦手」な作品や、展示物との出会いです。

 

芸術作品を見ていると、

好き、割と気になる、ほとんど気にならない、興味が沸かない、

だいたいこの4つの間を行き来して、

たまに、感動するほどの作品と出会ったりするわけですが、

 

ごくたまにあるのが、

”なぜこんなものを人に見せるのか…”

と、不快になるものです。

 

私の場合は、グロテスクなものや、

体を傷つけるような痛い描写が苦手なので、

あえてそのような展覧会に行かなければ

普段会うことはないのですが、

 

それでも、連想させる作品と偶然出会うことはあり、

その時は瞬時に立ち去ります。

 

これに対して、

世の中にはホラー好きな方もたくさんいますね。

 

ホラーと言っても、

コメディータッチで面白く見れるものから、

人がいろいろと残虐な目にあわされるものまで。

 

ホラー好きな人の心理については、いろいろとあり、

刺激に飢えていたり、

極度のストレスを抱えていたり、

他人がひどい目にあっているシーンを見て、

そうではない自分を安心させたり…。

 

どちらにしても、

その状況を自分と置き換えてしまう感覚的な人と違って、

別の世界として楽しめる人が、好む世界です。

 

そう、そういう意味では、

グロテスクとホラーは、別物です。

 

以前、屋久島でのスケッチについて

お話した時、写真にも載せましたが、

 

私の描いたガジュマルの木、

あれは見事にグロテスクでした。

(ブログ「神木・巨木巡礼3

屋久島 屋久杉とガジュマル」掲載)

 

しかし私は、

そのおどろおどろしい木を目の前にして、

何だこの木は…とぞっとはしましたが、

 

立ち去るどころか、思ったのです。

描きたい!その摩訶不思議な木を、と。

 

つまり、木や植物などの自然な状態であれば、

グロテスクでも不快には感じないということ。

逆に、虜になるほど好きになったりするわけです。

 

そうしてその後、

それらのスケッチは抽象画となり、

細かい形を無数に寄せ集めた作風となった時、

 

私の友人の一人は、こういいました。

「私、こういう細かいものが密集している状態が、

かなり苦手で…。」

 

……。

 

人の感覚や苦手なものは、

本当に説明の付きづらい、微妙なものです。

 

ですが、美術館は別として、

パブリックなところへのデザインは、

やはり数割はいるであろう、

こういう方への配慮も必要だと思います。

 

ひとつの表現を、好む人と苦手に思う人。

 

私たちは、実感として理解はできなくても、

両方の存在の中で生活していることを、

もっと意識した方がいいのかもしれません。

 

神木・巨木巡礼3 屋久島 屋久杉とガジュマル

 

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