2018
20
Jan

ブログ

日本の秘境・屋久島に惚れ込み、10年通った話。

さまよう10代~20代。

さまよう<彷徨う>…あてもなく歩き回る。

 

「自分探しの旅」なんて言葉が流行った頃だったかもしれない。

いつの時代も、悶々とこの時期を過ごす人は多いと思う。

何が悶々としているのかすら分からない10代。

何を目的に生きていけばいいのか分からない20代。

 

あまり深く考えず、有り余る体力のまま突っ走れる人を羨ましく思ったこともあった気がするが、ご多分にもれず私もこの「生きる」という大迷路の中でしっかり迷子になっていた。

 

クラスに一人はいる、絵を描くことや創作が好きな子供。

授業や家で集中して描いている時はいい。

でもそれが将来とどう繋がるのか全く見えず、うろたえ始める10代。

 

ちょっと大人になり、美大受験をし美術短大に入学。

しかしその課題をこなした先、何に繋げていけばいいのかやっぱり分からない20代前半。

興味のあるものはやってみるが、消去法で全部消えていく。

 

何か新しい体験をせねば。

モヤモヤの学生時代、思い立ったのが一人旅だった。

 

その当時、西の方に興味があった私は、とりあえず九州に行ってみることにした。

スケッチブック片手にバックパッカー、一人旅。

阿蘇で草原や放牧された馬を描き、

湯布院、別府、鹿児島…。

海や樹木、移動中のバスの中まで、あらゆるものを片っ端からスケッチしていった。

そして、鹿児島をぐるっと回っている最中、宿で知り合った旅人にお勧めされたのが、屋久島だった。

 

屋久島…。

ちょっと数泊してみるか。

その当時はもう公開されていた「もののけ姫」もまだ見ておらず、世界遺産になってはいたが、本当に行きたい人だけが訪れていた島。

 

正直、予備知識ゼロの人間が勢いだけで行く島ではない。

 

鹿児島ふ頭から南にフェリーで4時間半、

そこはもう、沖縄なのでは?と言いたくなるような、別世界だった。

 

 

しかし、それだけではない。屋久島の凄い所はその地形。

あの鹿児島沖にポツンと浮かぶ小さな島、そこに、いくつもの険しい山々が突き刺すようにそびえ立っている。なんと中心の宮之浦岳は南九州一の標高。

南の島なのに、穏やかどころか恐ろしい。

 

その島の位置と標高差は、日本の植物分布の北限と南限を生み出すことになる。

外周部分の平地ではハイビスカスや芙蓉の花が咲きガジュマルがぐにゃぐにゃ育つのに、

内陸部の山々では大木の杉や笹が育ち、雪が降る。

本州と沖縄の植物が、一つの島で一気に見られる。

奥の深い、唯一無二の島。

 

 

これは、描きたいものだらけ。

結局、20代は毎年通って色々な描き方をすることに。

もう島に住んでも良かったように思うが、そこはなぜか一線を引いていた。

特別な場所にしておきたかったのかもしれない。

 

その後、webデザインの勉強をしたり紆余曲折は続くが、30代になって私の行きついた先は美術関連の就職ではなく、ひとりの作家として制作していくことだった。

屋久島のスケッチがやがて抽象化され、今の作品の原型となっていったからだ。

 

さて、もう迷ってる暇はない。

死ぬまでにあといくつ作品が作れるか。

 

コメント

    • cx
    • 2018年 1月 21日

    あの頃、
    あなたの外の世界は知っている心算でいましたが、
    あなたの内の世界は知る由も無く−−。
    この先のBlog展開をとても楽しみにしています。
    あなたのことをもっと理解すべく。

      • mayukohanai
      • 2018年 1月 21日

      第一号のコメントありがとうございます。
      とても嬉しいです。
      昔のスケッチを手に取り思い出すのは、森に通いながら通算100泊以上した宿での思い出ばかりでした。
      初めて屋久島に訪れてから、もうすぐ20年。
      今でもご縁が続いていることに感謝します。

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